バディ&ボブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:32 UTC 版)
1953年バディはジャック・ニール と共に地元のラジオ局KDAVに売り込む。若い二人を局のオーナー、デイブ・ストーンとDJハイポケッツ・ダンカンは支持した。日曜午後の音楽番組「サンデー・パーティー」を持たせ、デモ録音の場所を提供した。1954年結婚のため音楽活動を停止したジャックに代わりに中学の同級生ボブ・モンゴメリーが新たなパートナーとなる 。プロモーターも兼ねるハイポケッツはラボックのダンスホール「コットン・クラブ」にマーティ・ロビンス、マーリン・ハスキー、ポーター・ワグナーなど人気カントリーミュージシャンを呼び、その前座としてバディ&ボブを起用。二人は少額のギャラなど気にもせず憧れのスターと同じステージに立つ喜びに満足した。ハイポケッツの回想。「あの子達は観客にアピールする事に非常に熱心でした。KDAVに来る子供達の中でもバディとボブは才能があり、特にバディは(プロミュージシャンとして成功し)外に出ていこうという決意に満ちていました」この時期の編成はバディ&ボブ、ラリー・ウェルボーン(Bass)の三人。リード・ヴォーカルはボブがとった。自らの音楽を「ウェスタン&バップ」と呼び、名刺に記載した。
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