ハーバート・ノーマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)
羽仁と親しくしていたカナダ外交官・日本史学者(戦時中は太平洋問題調査会研究員)のハーバート・ノーマンは、講座派の影響を受けており、『日本における近代国家の成立』(1940、邦訳1947年)で、明治維新の主体は下級武士とブルジョワ的豪農の同盟であったが、維新後、武士は豪農を裏切り、工業化のために課税を強化したとした。ノーマンによれば、明治維新は農民を犠牲にして資本の蓄積と集中が遂行された「上からの変革」であり、これは「絶対主義国家の力」によるもので、新政府の「武断官僚」は専制権力を手際良く利用したと説明した。ノーマンは、徳川幕府が封建制の廃止や政治改革を実現できなかったのに対して、明治政府は、工業、法典、教育などの分野で近代化を成し遂げたが、そうした近代化と、その政府が権威主義体制であったことととは矛盾するわけではないという。ノーマンは1953年の序文で、「明治政府をむき出しの絶対主義と規定することはたしかに過度の単純化であり、あるいは歪曲である」が、明治政府は廷臣、官僚、軍人、特権的企業家からなる寡頭権力者からなる、「立憲制度の大礼服に飾られた絶対主義であった」と主張した。同書は日本で大きな反響を呼んだ。
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