ハプスブルク=トスカーナ家(1936年 - 1975年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:10 UTC 版)
「カルリスタ王位請求者の一覧」の記事における「ハプスブルク=トスカーナ家(1936年 - 1975年)」の解説
"カルロス7世"の長女ブランカは、ハプスブルク=トスカーナ家のレオポルト・ザルヴァトール大公と結婚した。1943年、大公夫妻の末息子カール・ピウスが、大叔父アルフォンソ・カルロスの後継者であると宣言して、カルリスタ王位請求者に名乗りをあげた。これは女系を通じての請求であるため、圧倒的大多数のカルリスタからは受け入れられず、わずかな支持を得るに留まった。同家の支持者たちはカルロクタビスタ(carloctavista)と呼ばれた。1975年のフランツ・ヨーゼフの死後まもなく、フアン・カルロス1世による王政復古もあって、ブランカの子孫を支持するカルリスタはいなくなった。 肖像請求者生没年付記 "カルロス8世"(カルロス・ピオ・デ・アブスブルゴ=ロレナ・イ・ボルボン)1936年9月29日 - 1953年12月24日 1909年12月4日 - 1953年12月24日 ブランカの五男。フランシスコ・フランコの翼賛集団国民運動から一定の支持を受けた。 "カルロス9世"(アントニオ・デ・アブスブルゴ=ロレナ・イ・ボルボン)1953年12月24日 - 1961年 1901年3月20日 - 1987年10月22日 ブランカの三男。1961年に弟フランツ・ヨーゼフに譲位した。 "フランシスコ・ホセ1世"(フランシスコ・ホセ・デ・アブスブルゴ=ロレナ・イ・ボルボン)1961年 - 1975年5月9日 1906年3月30日 - 1975年5月9日 ブランカの四男。死後、兄アントンの次男ドミニク(スペイン語版)が支持のないまま後継者を名乗った。 "ドミニコ1世"(ドミニコ・デ・アブスブルゴ=ロレナ(スペイン語版))1975年5月9日 - 1937年7月4日 - フランシスコ・ホセ1世の甥。
※この「ハプスブルク=トスカーナ家(1936年 - 1975年)」の解説は、「カルリスタ王位請求者の一覧」の解説の一部です。
「ハプスブルク=トスカーナ家(1936年 - 1975年)」を含む「カルリスタ王位請求者の一覧」の記事については、「カルリスタ王位請求者の一覧」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からハプスブルク=トスカーナ家を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ハプスブルク=トスカーナ家のページへのリンク