トスカーナ大公家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 04:05 UTC 版)
「ハプスブルク=ロートリンゲン家」の記事における「トスカーナ大公家」の解説
トスカーナ大公国は元来メディチ家が統治していたが、1737年に同家が断絶するとフランツ・シュテファンが大公フランチェスコ2世として継承した。しかしトスカーナはハプスブルク家の本領とは独立して統治される(本領を治める当主がトスカーナ大公を兼ねない)ことになり、フランツ・シュテファンから次男レオポルト2世へ、レオポルトが帝位を継いだ後はその次男フェルディナンド3世へと大公位が継承された。フェルディナンド3世をもってトスカーナ大公家(ハプスブルク=トスカーナ家)の始まりとする。 歴代の大公は良きトスカーナ人たろうと努めたが、それでもリソルジメントの波には勝てず、フェルディナンド4世が1860年に廃位され、住民投票の結果、サルデーニャ王国へ併合されて大公国は消滅した。大公国の首都フィレンツェは統一イタリア政府の暫定的首都になった。トスカーナ大公家はその後、オーストリアの宗家を頼ってオーストリア貴族として存続し、家系は帝国の滅亡後も現在まで続いている。
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