ハイランダースの若い捕手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 23:23 UTC 版)
「1907年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ハイランダースの若い捕手」の解説
5月28日のニューヨーク・ハイランダース(後のヤンキース)対ワシントン・セネタース(ナショナルズ)の試合で、ハイランダースの3番手の控え捕手が先発メンバーとなった。そしてこの若い捕手はこの試合で今だに破られていない記録を作った。相手チームに13盗塁を許してしまったことである。このハイランダースの捕手の名前はブランチ・リッキー。翌日のワシントンポスト紙は「リッキーの送球はお粗末すぎた。お陰で走者はスタートさえ切れば盗塁に成功したも同然だった」と書かれる始末であった。この年に52試合出場して打率182、この年までの3年間で打った安打は82本。この年限りで引退した。その後監督に就任してセントルイス・ブラウンズとセントルイス・カージナルスに1913年から1925年まで通算10年務めたが優勝には手が届かなかった。しかしその後球団経営に携わってカージナルスのゼネラル・マネージャーに就任した時から、この1試合に13盗塁を許した人物はその才能と実力を発揮して、カージナルスでマイナーリーグのファーム制度を確立してカージナルスの黄金時代を創り、ブルックリン・ドジャーズに移ってからは多くの反対を押し切ってジャッキー・ロビンソンを採用し人種差別の壁を取り払って20世紀後半のメジャーリーグの歴史を大きく変え、メジャーリーグのゼネラル・マネージャーとして野球史に残る人物となった。
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