ノーマン・ウォーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 15:24 UTC 版)
「ビアトリクス・ポター」の記事における「ノーマン・ウォーン」の解説
フレデリック・ウォーン社は創業者の息子3人によって経営される家族経営の会社であった。ポターと連絡を取り合っていたのは一番下のノーマン・ウォーンであった。ノーマンとは毎日のように手紙のやり取りを交わしており、ウォーン社にもたびたび出向いていたため、ポターはウォーン家と親しくなっていった。ポターにとって実家は窮屈で居心地が良くなかったこともウォーン家に親しみを感じる一因となった。次第にポターとノーマンはお互いに惹かれあうようになり、ノーマンが営業で会社を離れているときは、ポターはウォーン社とまともに連絡を取り合おうとしない有様だった。二人の親密さは深まる一方であったがポターの母ヘレンは快く思ってはいなかった。『2ひきのわるいねずみのおはなし』に登場する人形の家をスケッチするため、ノーマンとポターは2人で出かけることを計画したが、ポターの母親は2人だけの外出を許そうとはせず、結局スケッチは写真を見て行うことになった。母親の束縛に落胆するポターであったが、本の売れ行きは順調であったのでいつか自立できるに違いないと将来を明るく考えてもいた。 1905年7月25日ノーマンからポターへ結婚を申し込む手紙が届いた。無論ポターはこのプロポーズを喜んだが、ポターの両親の反応は全く違うものであった。両親は自分たちの娘が商売人と結婚するようなことを認めなかった。自分たちの先祖も商人であったにもかかわらず、家の格が違うことを気にしたのである。しかし、ポターも当時39歳であり決意も固く、両親の反対を押し切りプロポーズを受けることにした。ただし両親が条件として出した「婚約のことはごく限られたものだけにしか知らせず、ノーマンの兄弟にも知らせない」という約束を守らねばならなかった。ところがプロポーズの手紙から1か月後の8月25日、ノーマンはリンパ性白血病のため37歳でこの世を去った。ポターは悲しみに暮れたが秘密の婚約であったため、誰にもその胸の内を明かすことはできなかった。
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