ノルウェー統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 15:15 UTC 版)
「ヨーゼフ・テアボーフェン」の記事における「ノルウェー統治」の解説
ヴェーザー演習作戦によってノルウェーはドイツに占領され、1940年4月24日にはヒトラーよりノルウェーの国家弁務官に任命された。ノルウェーのスコウガムの王太子宅を接収して邸宅とした。また、ノルウェー国会を自らの行政府に定め、ここから行政を執り行った。 占領下ノルウェーでもノルウェー人のヴィドクン・クヴィスリングを首相とするクヴィスリング政権が構成されていたが、ドイツ政府の傀儡であり、実権は弁務官のテアボーフェンが握っていた。テアボーフェンは駐留する40万人のドイツ軍の監督には直接の権限を持たなかったが、軍のうち6,000人と秘密警察800人ほどは弁務官である彼の指揮下に置かれていた。 テアボーフェンは、ノルウェー人に一定の配慮を示し宥和姿勢を取る駐留司令官ニコラウス・フォン・ファルケンホルストとは対照的に、ノルウェーにファルスタッド強制収容所(英語版)、ブレットヴェト強制収容所(英語版)などを設置し抑圧政治を行ったため、ノルウェー人から激しく憎まれていた。またドイツ人からの評判も良くなかった。1941年にレジスタンス運動を鎮圧すると、翌1942年にトロンハイムに戒厳令を布告するが、この件に対し、ゲッベルスも日記の中で「イジメ作戦」などと評し批判している。しかし、内外からの批判にも関わらず、テアボーフェンは敗戦まで国家弁務官の地位を保持し、宥和的だったファルケンホルストは1944年12月18日に更迭されている。
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