ノリタケセラミックス株式会社(1976年~1989年)
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1970年ごろ、F-15戦闘機のエンジンを国産化する計画が持ち上がり、日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)ではガスタービンエンジンのタービン翼を冷却するためのセラミックスコアの開発への参入を決定した。このため、既にアメリカでこれを製造していたシャーウッド・リフラクトリーズ社と技術提携の契約を結び、1974年7月4日に両社の合弁でノリタケシャーウッド株式会社が設立された。 ノリタケシャーウッドは日本陶器の三好工場内に本社を置き、エンジン、一般機械向けのセラミックコアの製造を始めた。1976年9月に資本提携が解消されると、日本陶器の100%子会社となりノリタケセラミックス株式会社と改称した。これに伴って新たに厚膜印刷用のセラミック基板の生産が日本陶器の本社工場から移管された。なお、技術提携はその後も続いている。さらに伊勢電子工業(現・ノリタケ伊勢電子)や九州ノリタケ(後のノリタケ電子工業)とともに、蛍光表示管用のガラス基板の生産も手がけるようになった。1978年には日本陶器が感熱記録紙用のサーマルペンを開発し、その生産を行なっている。 1981年3月には三好町(当時)の三好工場内に新工場が完成し、ブラウン管の電子銃に用いるアルミナ基板シートの生産を始めた。また、ファクシミリやワープロの印字定着ヒーター用の基板の製造も行なっている。この一方でセラミックコアの生産も続けており、1988年にナフタリンをバインダーとして単結晶金属を製造する手法を開発した。
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