ノリッチのウィリアム:最初の血の中傷
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「血の中傷」の記事における「ノリッチのウィリアム:最初の血の中傷」の解説
血の中傷が最初に発生したのは、1144年、イギリス東部の町ノリッチにおいてである。ユダヤ人が儀式のために少年ウィリアムを殺したという儀式殺人を告発したケンブリッジの修道僧シーアボルドはキリスト教の洗礼を受けたばかりの改宗ユダヤ人だった。 ウィリアムという名の少年の遺体が森の中で発見された。その遺体は腐敗こそしていなかったものの、暴力が加えられた痕跡が残されていた。事件の調査に当たったトマス修道士は、聞き込みによってユダヤ人の関係を仄めかすいくつかの証言を集めた。ユダヤ人富豪の屋敷で働く家政婦によると、彼女は屋敷内でその幼児が縛られているのを目撃したという。また、キリスト教徒のひとりは、遺体を森の中へと運ぶユダヤ人の集団と遭遇したと報告した。さらには、トマスの友人のユダヤ人キリスト教改宗者も、ユダヤ人が毎年フランスのナルボンヌに集まり、その年の過越の生贄をどの町から調達するのかを協議していると告白した。当時の資料に基づいた歴史家の推論によれば、すべての証言はユダヤ人キリスト教改宗者がトマスに吹聴したものと見られている。このユダヤ人に関連して別の歴史家は、彼の偽証は当時一般的に語られていた中傷の一つになったに過ぎず、その背景ではもっと悲惨な事件が多数起きていたと述べている。ユダヤ人名士が一文無しの騎士に殺害される事件も起こった。 当地の権力者等はこの事件に一切絡んでいなかったが、彼が確立した血の中傷は作者を離れて独り歩きし、その後に誕生する何百というバリエーションのプロトタイプとして世代を通じて語り継がれた。
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