ニザーミーヤ学院とスンナ派復興政策
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「ニザームルムルク」の記事における「ニザーミーヤ学院とスンナ派復興政策」の解説
ニザームルムルクによって各地に創設されたニザーミーヤ学院(マドラサ)は「マドラサ」という学問施設をイスラーム社会に定着させる切っ掛けとなった。もともと「マドラサ」とはホラーサーン地方で10世紀頃に生じた非常にローカルな学習施設であったようだが、ニザーミーヤ学院によってセルジューク朝以後、イスラーム世界全体に普及するようになった。ニザームルムルクによる創建当初は、王族達がシーア派であったブワイフ朝からスンナ派擁護を掲げるセルジューク朝に交替して日が浅く、イラク地方やイラン高原ではファーティマ朝カリフを奉じるイスマーイール派の宣教師(ダーイー)達の活動はまだまだ活発であった。ニザーミーヤ学院では当初は法学として(イラン高原一帯のスンナ派としては多数派であった)シャーフィイー学派と神学ではアシュアリー学派が講じられていた。イスマーイール派のダーイー達の教説に対抗しスンナ派信仰の復権が企図されていたようだが、特にシャーフィイー学派が講じられていた背景には主に中央アジアやセルジューク王家はじめテュルク系の軍人・貴族層に信奉されていたハナフィー学派との均衡政策等が考えられている。ニザームルムルクの庇護のもとに、シャーフィイー学派のとアシュアリー学派の擁護者としてニザーミーヤ学院で教鞭を取っていた代表的人物がアブー・ハーミド・ガザーリーである。マドラサ建設はアッバース朝やセルジューク朝にとってスンナ派政権復興のための大きな事業のひとつであったが、これは一面、王朝の支配層側がウラマー層や地域の名望家層の保護・統制の手段としても活用され、以後のイスラーム政権での各法学派の保護政策のひとつとしてマドラサ建設が奨励される嚆矢ともなった。
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