ドラフト・プロ入り後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 08:00 UTC 版)
「マット・ハリントン」の記事における「ドラフト・プロ入り後」の解説
2000年、ドラフト1巡目(全体7位)でコロラド・ロッキーズに指名される。ハリントンの代理人は契約金495万ドルを要求(前年の全米ドラフト全体1位指名のジョシュ・ハミルトン以上の額であった)。ロッキーズは最終的に契約金400万ドルを提示したが、合意に至らなかった。ハリントンはその代理人を解雇し、新たな代理人としてスコット・ボラスを採用した。 2001年、ドラフト2巡目(全体58位)でサンディエゴ・パドレスに指名される。パドレスは契約金120万ドルを提示したが、ボラスはその倍額を要求したため今度も契約締結に至らなかった。ボラスの進言でハリントンは独立リーグでプレーすることを選択し、球団側の評価が上昇するのを待ったが、大した成績を残せずパドレスは興味を失った。その後もハリントンは独立リーグでのプレーを続け、ドラフト指名を待つこととなる。 2002年、ドラフト13巡目(全体374位)でタンパベイ・デビルレイズに指名される。デビルレイズは契約金5000ドル~20万ドルを提示したが、契約に至らなかった。 その後、2003年ドラフト24巡目(全体711位)でシンシナティ・レッズに指名され、2004年、ドラフト36巡目(全体1089位)でニューヨーク・ヤンキースに指名されるも、いずれも契約合意に至らなかった。2005年のドラフトではどの球団からも指名されなかったため、アマチュアフリーエージェントとなった。 2006年10月、シカゴ・カブスと契約金なしでマイナー契約を結び、2007年の春季キャンプに合流するが成績を残せず開幕前に解雇される。その後、再び独立リーグでプレーするが、その年を限りに引退する。
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