ドネツクとルガンスクでの選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:59 UTC 版)
「ミンスク2」の記事における「ドネツクとルガンスクでの選挙」の解説
2015年のウクライナ地方選挙は10月25日に予定されていたが、7月2日にドネツクの指導者アレクサンドル・ザハルチェンコが10月18日に地方選挙を行う命令を出した。彼は、この行動は「ミンスク協定に従った」ものだと述べた。 ザハルチェンコによれば、この動きはドネツクが「独立してミンスク協定を履行し始めた」ことを意味するという。ザハルチェンコは、選挙はドネツクの憲法および法律と矛盾しない限り、ウクライナ法「ドネツク州およびルハンスク州の特定地域の地方自治に関する臨時令」に基づいて行われると述べた。 同日、 ペトロ・ポロシェンコ大統領は、ドネツクの選挙がこのような一方的なやり方で進むのは、「極めて無責任で、ドネツク州とルハンスク州の特定地域で緊張が高めて破滅的結果をもたらす」と述べた。さらに、OSCEは、ウクライナが求めるなら、紛争地帯での選挙にオブザーバーを派遣すると述べた。ミンスク2で指定されているように、ドネツクとルガンスクが占領する地域での地方選挙は、合法だと認められるためにOSCEによって監視されなければならない。ルガンスクの指導者イーゴリ・プロトニーツキーは、ドネツクを追うように、2015年11月1日にルガンスクが統治している地域での選挙を実施するとした。 9月1日に合意されたミンスク2を再び実施することに同意し、戦闘が大幅に減少した中、 ノルマンディー協議会が10月2日に会議を開いた。 会議では、紛争地帯での選挙はミンスク2に従って実施されることが合意された。選挙実施のために、フランス大統領フランソワ・オランドは、選挙の準備のために3ヶ月必要であるとして、選挙は2016年まで延期される必要があると述べた。 ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、ドネツクとルガンスクが早期に選挙を行うのを防ぐために、ロシアが自身の影響力を用いて介入することに同意した。これに従い、ドネツクとルガンスクは10月6日に予定された選挙が2016年2月21日まで延期されたと発表した。2015年10月25日にウクライナの他の地域では地方選挙が行われた。 延期の後、ドイツ外相のフランク=ヴァルター・シュタインマイアーは、OSCEのオブザーバーがドンバス地域で開催される予定の選挙が、ウクライナの法律とミンスク2に従っていることを確認したと述べた。 2016年4月18日に予定され、ドネツクとルガンスクが手配した地方選挙が2016年4月20日から7月24日に延期された。2016年7月22日にこの選挙は再び2016年11月6日に延期された。2016年10月2日、ドネツクとルガンスクは「予備選挙」を開き、投票者は2016年11月6日の選挙の候補者を推薦した。ウクライナはこれらの「予備選挙」を違法であると非難した。 2016年11月4日に、ドネツクとルガンスクの両方が「次の通知があるまで」地方選挙を延期した。ドネツクのザハルチェンコ議長は、「2017年には、ミンスク協定に基づいて選挙を行うか、自分たちで独自に実施する」と付け加えた。
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