ドネツ攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:13 UTC 版)
7月16日、南西方面軍がドネツ河を渡河して第1装甲軍への攻勢を開始、南部正面軍はミウス河を渡河し第6軍への攻勢を開始した。両軍の目的はハリコフ攻勢への陽動であり、南方軍集団機動予備の誘引を狙っていた。南西・南部軍は補充・増援を優先的に受けたヴォロネジ・ステップ軍に比べると貧弱な戦力だったが、第6軍・第1装甲軍にたいしては2倍の優勢を占め、49万の兵員を投入できた。南西方面軍の攻勢は阻止されたが、南部正面軍はミウス河に橋頭保の構築に成功した。南方軍集団司令官マンシュタインは南翼の危機を救うため、イタリアに出征予定だった第6SS装甲軍団の投入をヒトラーに要請した。北翼への攻勢を警戒していたマンシュタインは第4装甲軍からのひきぬきを最小限に抑える必要があった。ヒトラーは当初難色を示したが、マンシュタインは自らの解任をちらつかせヒトラーを承諾させた。7月30日、第6SS装甲軍団はミウス河の戦線に投入され、マンシュタインはソ連軍橋頭保の排除に成功、1万7000人の捕虜を獲得した。しかし南翼への攻勢は陽動に過ぎずソ連軍の本命は北翼への攻勢だった。
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