ドネツク人民共和国大臣の解任
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「イゴール・ガーキン」の記事における「ドネツク人民共和国大臣の解任」の解説
2014年8月13日水曜日、ITAR-TASS報道機関は、8月12日にガーキンはウクライナ東部の親ロシア派勢力の領土での激しい戦闘で重傷を負い、「重大な」状態であると説明した。 DNR安全保障理事会のメンバーであるセルゲイ・カフターラゼは、このニュースをすぐに反論し、ガーキンは「健在」であると述べた。 8月14日ドネツク人民共和国の指導部は、ガーキンが「他の任務」を割り当てられたため、「彼自身の要求に応じて」国防大臣の地位から解任されたことを発表した。 8月16日、ロシアのテレビズヴェズダは、ガーキンは現在「休暇中」であるが、ルガンスク軍とドネツク軍の連合軍の指揮官に任命されたと主張した(それまでガーキンはドネツク軍の指揮権のみ保有していた)。 スタニスラフ・ベルコフスキーは、ガーキンが国防大臣を解任された主な理由は、ガーキン自身がマレーシア航空17便撃墜事件によって注目され、ウクライナにおけるロシアの活動に悪影響を与えると考えられたからであると述べた。 8月22日、元反乱勢力のアントン・レフスキー(「ネメッツ」)はロストフ・ナ・ドヌでインタビューに答え、ガーキンと彼の支持者はロシア連邦保安庁によってドネツク人民共和国から排除されつつあると述べた。その理由は、共和国においてクレムリンの方針が十分に徹底されていないからである。 8月28日、ロシアのメディアは、ロシア北部のヴァラーム修道院でアレクサンドル・ドゥーギン及びコンスタンチン・マロフェーフと歩いているガーキンの写真を公開した。 2014年11月、「モスクワスピーキング」ラジオのインタビューで、ガーキンは、「目立たないがまだ血なまぐさい戦争が続く、現在のルガンスクとドネツク人民共和国の存在は、間違いなく米国の利益となっている。なぜならば、ルガンスクとドネツクはロシアとウクライナを分断する潰瘍だからである」と述べた。 また、11月後半の「ザブトラ」新聞のインタビューで、ガーキンは、当初ウクライナ政府と地元の戦闘員は武装衝突を避けていたが、自身の分遣隊が行動を起こしたことによってドンバスでの戦争は始まったと述べた。 また彼はドネツクと他の都市の現在の状況に責任があると述べた。 ボリス・ネムツォフの報告書によると、ガーキンは、クレムリンからの圧力により、ドネツク人民共和国での公式の地位を辞任したことを認めた。 ガーキンはまた、ヴラディスラフ・スルコフがドンバスで決定的な役割を果たしていると述べた。
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