ドアカットの歴史
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1974年(昭和49年)4月から、田園都市線(当時)でそれまでの18 m車4両編成から8000系による大形20 m車4両編成の運転が開始されたが、踏切に挟まれた当駅はホーム有効長が確保できないため、大井町寄り1両をドアカットとした。 1976年(昭和51年)4月からは5両編成の運転が開始され、1981年(昭和56年)4月1日からは初代6000系、7200系による18 m車6両編成の運転が開始され、これらの車両では大井町寄り2両がドアカットとなった(初代5000系の5両編成は大井町寄り1両がドアカット)。なお、18 m車6両編成は1989年(平成元年)1月26日ダイヤ改正で運転を終了している。
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ドアカットの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:09 UTC 版)
1976年(昭和51年)4月から、田園都市線(当時)で4両編成から5両編成の運転が開始されたが、当駅は道路上であることや住宅近接地などの事情から、ホーム有効長が確保できないため、初代5000系5両編成で大井町寄り1両、大形20 m車(8000系・8500系)で大井町寄り2両をドアカットとした。かつては戸越公園と2駅連続でドアカット駅であったが、1978年(昭和53年)前半にホーム延伸工事完成し、当駅におけるドアカットは2年ほどで終了した。
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ドアカットの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:13 UTC 版)
1976年(昭和51年)4月から田園都市線(当時)で5両編成の運転が開始されたが、踏切に挟まれた当駅はホーム有効長が確保できないため、長津田寄り1両のドアカットが始まった。 また、1981年(昭和56年)4月1日からは初代6000系、7200系(翌1982年(昭和57年)からは初代7000系も加わるほか、後に7600系や7700系も加わる)による18メートル車6両編成運転が開始され、これらの車両では二子玉川園(当時)寄り2両がドアカットとなった。なお、18メートル車6両編成は1989年(平成元年)1月26日ダイヤ改正で運転を終了している。
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