トルテカとはだれか?文明の担い手についてとは? わかりやすく解説

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トルテカとはだれか?文明の担い手について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/17 14:48 UTC 版)

トルテカ文明」の記事における「トルテカとはだれか?文明の担い手について」の解説

トルテカ文明担い手であるトルテカ人については、欧米の「主流派研究者は、トルテカ・チチメカと呼ばれるメキシコ西部ウト・アステカ語族属すナワトル語を話す半文化した人々が主であり、ノノアルカと呼ばれる少数であるがプエブラ州およびメキシコ湾岸住んでいた彫刻建築よくする職人的な人々からなるとされてきた。そして彼らの文化には冶金術とマサパ系土器が伴うとされてきた。 しかし、大井邦明は、この考え方をヒメネス・モレーノが資料操作おこなったために混乱しているとし、トルテカ人は、もともとテオティワカンにすんでいたケツァルコアトル神をあがめる集団であり、具体的にオトミ族やマトラツィンカ族であって、コヨトラテルコ式土器伴いトゥーラ・シココティトランショチカルコなどの「トゥーラ」(城塞都市)群を中央高原築いた人々であるとした。 その根拠として、伝承一種国譲り的な記述見られたり、ケツァルコアトル神に創造され人々トルテカ人であるという記述みられること、チチメカ移動はどう考えて文献記録からでは11世紀以前にはならないこと、テオティワカン衰退契機となった破壊行為都市全域及ばずあくまでも中枢部分にとどまること、テオティワカン全盛期ケツァルコアトル神の神殿築かれ、やがて破壊されたという出来事があり、ショチカルコは、かって機能したケツァルコアトル神殿思想的延長上にあること、古典期後期マヤにもケツァルコアトル神を思わせるレリーフなどが増加すること、トゥーラ・シココティトラン焼き払われ破壊された後の上から、「全盛期使われ土器」であるはずのマサパ系土器出土することなどを挙げている。 また、侵略者チチメカ人は、攻撃対象となった都市を「葦が密集するように人の多い場所」という意味のトゥーラ呼び、そこの住民を「トルテカ」と呼ぶ一方で自分たちを「トルテカ」と自称したため、チチメカ人自身が「トルテカ」であるかのように誤解されるようになった、とする。

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