トルコKジルジャンの終焉と近況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:18 UTC 版)
「ジルジャン」の記事における「トルコKジルジャンの終焉と近況」の解説
1970年代ごろ、『Kジルジャン社』は『アメリカAジルジャン社』に買収される。1977年、アベディス3世は長男アーマンドを社長に任命する。アーマンド就任記念なのかこの時に新しいZildjianロゴの発足と共に白抜きのZildjianロゴをシンバル裏側にプリントするようになる(それまでのロゴは全部大文字でZILDJIANのJが下に出っ張っているロゴだった)。1977年にトルコの『Kジルジャン社』の工場は閉鎖されてカナダ工場に統合され、1865年から続いた伝統の本場トルコKジルジャンの長い歴史に幕を閉じる事となる。 1978年、Kジルジャン商標のトルコ製シンバルによる使用は商標権者の『アメリカAジルジャン社』によって禁止され、Kジルジャンブランドの製造はカナダ工場の『AZCO(カナダAジルジャン社)』で行われるようになった。なお、トルコKジルジャンの職人のうちトルコに残った者は1980年に『イスタンブール・シンバル社』を興し、その流れを汲むシンバル工場は現在は数社に分かれている。 1979年にアベディス3世が没した後、相続者の長男アーマンドと次男ロバートの間で会社が分割される。1981年にロバートのカナダ工場『AZCO(カナダAジルジャン社)』が独立して『SABIAN(セイビアン社)』となった。この時点でKジルジャンブランドの製造に関しては名称・商標が使えない『セイビアン社』はカナダK製造時代の流れを受け継ぎ、HH(ハンド・ハンマード)の名称で製造販売開始し、Kジルジャン商標が使える『アメリカAジルジャン社』はビッグKロゴ入りのKジルジャンシンバルを製造販売開始した。 2002年にはアーマンドが没し、現在同社はアーマンドの2人の娘、クレーギーとデビーが経営している。
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