トルグートの帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:46 UTC 版)
1755年、清によってジューンガル帝国が滅んだ。同じ頃、ヴォルガ・トルグートを始めとするヴォルガ・カルムィクはロシア人やドイツ人の入植に圧迫され、次第に遊牧地を奪われていた。天然痘によってイリ地方のオイラトの人口が激減したことを知ったヴォルガ・トルグート部長のウバシ・ハーン(ロシア語版、ドイツ語版)はトルグート部の故地に還ることを決意し、部衆17万人を引き連れて東へ移動した。途中、ロシアの追撃を受けたり、カザフやキルギスの攻撃を受けたりして10万人を失ったが、7か月におよぶ逃避行の末、1771年8月にイリに到着し、清の臣下となった。一方、暖冬の影響で河が凍らずヴォルガ西岸に取り残された人々もおり、彼らはそのまま現在のカルムイク共和国のカルムイク人となった。
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