トルグートの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:46 UTC 版)
モンゴル年代記である『蒙古源流』において、「(オイラトの)ホイト部,トルグート部,バートト部,ドルベト部,ホシュート部の首長たちが、モンゴルのハーンとホンタイジたちに殺された」という記述があり、1562年にトルグート部のハラ・ブーラ (Qara buγura) がオルドス部部のフトクタイ・セチュン・ホンタイジによって殺されている。これにより、16世紀後半にはトルグート部が存在していたことがわかる。 ロシア古文書史料によると、「1616年の全オイラトの筆頭タイシャはドルベト部のダライ・タイシで、ホシュート部のチョクルと、トルグート部のホー・オルロク(ロシア語版、ドイツ語版)が相談役であった」という。 1620年、ジューンガル部長のハラフラ(英語版)とトルグート部のメルゲン・テメネは、ハルハ右翼部のアルタン・ハーン(ハルハ部のアルタン・ハーン)であるウバシ・ホンタイジ(英語版)を攻撃したが、逆に打ち負かされ、オイラトとモンゴルの戦争を引き起こした。四オイラトの諸首長たちは一旦シベリアへ逃げ込んで体勢を立て直し、1623年になってハルハに攻め込み、ウバシ・ホンタイジを殺害した。
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