トリックの発想の起源と画期性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 00:57 UTC 版)
「アクロイド殺し」の記事における「トリックの発想の起源と画期性」の解説
本作で使われた「語り手=犯人」のトリックは、クリスティが初めて用いたものではない。ただしクリスティ自身は、義兄ジェームズ・ワッツの「ちかごろの探偵小説は、だれでも犯人にしてしまうんだな。探偵本人が犯人というのもある。……もしワトソン医師みたいな人物が犯人という小説があったらどうか。」という、このごろの探偵小説を評した彼の言葉を独創的なものと評価した。さらに、インド総督ルイス・マウントバッテン卿からそれを発展させたアイディアを手紙で提示されたことを元にしてプロットを考案した。 この作品が発表された後、クリスティ自身は「このアイディアは、一度きりしか使えない独創的なもので(あとからこれを模倣した作品が多く出たが)、おそらくたいていの読者を驚かせるものである」と自賛している。クリスティは、おそらく他の先行作品に気づかなかった。ただし、自身には2人の語り手のうちの1人が犯人である『茶色の服の男』という先行作品がある。 この「記述者=犯人」トリックの先例は、1885年に出版されたロシアの作家アントン・チェーホフの『狩場の悲劇』、1917年に出版されたスウェーデンの作家S.A.ドゥーゼの4番目の作品である『スミルノ博士の日記』である。さらにノルウェーのStein Riverton(スヴェン・エルヴェスタ(英語版)のペンネーム)による同じアイディアの作品 "Jernvognen---Kriminalroman" がある。ただし、これらの作品は読者に対しては「記述者=犯人」であることを隠しておらず、内容的には倒叙物に近い。 1921年に谷崎潤一郎が発表した『私』もこのトリックを使っており、その際に芥川龍之介から、イタリアにああいうものがあると言われたとのちに書いているが、どの作品かは特定されていない。
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