トラブルと謹慎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 02:12 UTC 版)
「桂小文枝 (4代目)」の記事における「トラブルと謹慎」の解説
私生活でトラブルを起こしたこともある。1979年7月にはLSD疑惑、1981年11月には無免許運転(この事件を機に当時レギュラー出演していた『プロポーズ大作戦』(朝日放送)も降板している)、1983年8月の32歳のときには18歳未満の女子と夜間一緒に歩いていたところを警察官に見つかり任意同行・書類送検されるという事件(俗称「横浜ニャンニャン事件」。今でいう未成年交際疑惑)を起し、3代目小文枝から謹慎を言い渡され、所属の吉本興業からも無期限謹慎処分を受けた。 5代目文枝は「謹慎」と言ったのがマスコミに「破門」と書かれた、と著書に記している。ただ、単なる「謹慎」だけではいかんという理由で休業、一般企業で勤務することになった。きん枝に目をかけていた山科の経営者の企業が勤務先であったという。当時、FRIDAYに千里丘駅から山科駅を電車で通勤する姿が掲載された。
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