トラック・パイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:46 UTC 版)
第二次世界大戦開戦直後、第四艦隊司令長官である井上成美は山本直枝に対して、第四艦隊の司令部があるトラック諸島には下士官用の料亭しかなく、とても間に合わないので、小松の支店を出してくれないかと要請した。小松の支店についてはシンガポールに開設される話もあったが、シンガポールは陸軍が多いため勝手が分からない上に、当時まだ健在であった山本コマツが井上の要請に賛成したこともあり、1942年(昭和17年)7月、トラック諸島の夏島に小松の支店であるトラック・パインが開店することになった。トラック・パインでは日本から最初は20-30名、後に約50-60名の芸者、料理人、髪結いなどを連れて行き、日本国内とあまり変わらぬサービスを提供した。なお、トラック諸島の次にラバウルにも支店を出す予定があったが、戦況の悪化によって中止された。 トラック・パインは1944年(昭和19年)3月30日に空襲に遭い、従業員に犠牲者が出たことにより閉店となった。戦後まもなく小松を訪れた井上成美は、トラック・パインの開店を依頼したことについて、山本直枝に手をついて詫びたと伝えられている。これより先、戦況の悪化が感じられるようになった1943年(昭和18年)4月、小松の創始者である山本コマツは94歳の天寿を全うした。
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