トマソン・路上観察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 00:51 UTC 版)
詳細は「トマソン」を参照 1972年、南伸坊・松田哲夫とともに四谷を歩行中、ただ昇って降りるだけの意味不明な階段を発見。これは、階段としてきわめて「純粋」であった(「ある意味で純粋芸術に似ており、まるでもの派のようだ」と言って赤瀬川らは興奮した)。「四谷の純粋階段」、または「四谷怪談」のしゃれで「四谷階段」と称した。その後、いくつかの類例が見つかり、また「美学校・絵文字工房」で紹介すると、生徒からも同様の発見が多く集まった。当時、読売ジャイアンツに高額の契約金で雇われたゲーリー・トマソン選手が役に立たなかったことにちなみ「超芸術トマソン」と命名された。末井昭編集長の『写真時代』の連載を通じて普及活動を行った。 また、トマソンやマンホールの蓋、看板などを発見し考察する、「路上観察学会」を創設。1987年、『東京路上探険記』は講談社エッセイ賞を受賞。後年「路上観察学会」会員の藤森照信(建築史家・建築家、東京大学教授)にみずからの住まいの設計を任せ、屋根に韮を生やした「ニラハウス」を建てた。
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