トニー・コニグリアロの突然の引退とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > トニー・コニグリアロの突然の引退の意味・解説 

トニー・コニグリアロの突然の引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:08 UTC 版)

1971年のメジャーリーグベースボール」の記事における「トニー・コニグリアロの突然の引退」の解説

この年レッドソックスからエンゼルス移籍したトニー・コニグリアロ極度スランプから7月引退した。まだ26歳若さであった1964年19歳メジャーデビュー打率.290・本塁打24本・打点52打ってトニー・オリバ新人王争ったコニグリアロは、早くからその長打力注目集まり、翌1965年には本塁打32本でアメリカンリーグ本塁打王となり、まだ20歳での史上最年少ホームランキングとなった3年目本塁打28本で、4年目1967年7月にはオールスター初出場シーズン途中22歳若さ通算100本に達していた。しかし8月試合投球を左目の下受けて頬骨粉砕骨折し、しかも左目の網膜も傷ついて失明恐れがあるとされて、病院運ばれその後1年間治療専念して戦列離れた再起不能との声も上がった1969年に見事カムバックして本塁打20本・打点82打った。そして1970年には本塁打36本・打点116打って自己最高の成績残した。しかし死球禍の後遺症苦しめられ視覚障害となり、この年エンゼルス移ったことも災いしてスランプとなりシーズン終了待たず球界離れたその4年後の1975年一度レッドソックス戻って球界復帰目指したが21試合出場して思うようバッティング出来ず再び引退した。そして彼の悲運はそれで終わらなかった。1982年37歳時に突然心臓マヒ襲われ昏睡状態に陥り、以降8年ベッドの上意識戻らず1990年45歳死去した早く通算100本の本塁打打ち将来嘱望されていた選手がたった1球のデッドボール野球人生暗転悲劇主人公となってしまった。

※この「トニー・コニグリアロの突然の引退」の解説は、「1971年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「トニー・コニグリアロの突然の引退」を含む「1971年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1971年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「トニー・コニグリアロの突然の引退」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トニー・コニグリアロの突然の引退」の関連用語

トニー・コニグリアロの突然の引退のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トニー・コニグリアロの突然の引退のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの1971年のメジャーリーグベースボール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS