トニー・コニグリアロの突然の引退
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「1971年のメジャーリーグベースボール」の記事における「トニー・コニグリアロの突然の引退」の解説
この年にレッドソックスからエンゼルスに移籍したトニー・コニグリアロが極度のスランプから7月に引退した。まだ26歳の若さであった。1964年に19歳でメジャーデビューし打率.290・本塁打24本・打点52を打ってトニー・オリバと新人王を争ったコニグリアロは、早くからその長打力に注目が集まり、翌1965年には本塁打32本でアメリカンリーグの本塁打王となり、まだ20歳での史上最年少のホームランキングとなった。3年目は本塁打28本で、4年目の1967年7月にはオールスターに初出場しシーズン途中で22歳の若さで通算100本に達していた。しかし8月の試合で投球を左目の下に受けて頬骨を粉砕骨折し、しかも左目の網膜も傷ついて失明の恐れがあるとされて、病院に運ばれてその後1年間は治療に専念して戦列を離れた。再起不能との声も上がったが1969年に見事カムバックして本塁打20本・打点82を打った。そして1970年には本塁打36本・打点116を打って自己最高の成績を残した。しかし死球禍の後遺症に苦しめられて視覚障害となり、この年にエンゼルスに移ったことも災いして大スランプとなりシーズン終了を待たずに球界を離れた。その4年後の1975年に一度はレッドソックスに戻って球界復帰を目指したが21試合出場して思うようなバッティングが出来ず再び引退した。そして彼の悲運はそれで終わらなかった。1982年、37歳の時に突然心臓マヒに襲われて昏睡状態に陥り、以降8年間ベッドの上で意識が戻らず、1990年45歳で死去した。早くに通算100本の本塁打を打ち、将来を嘱望されていた選手がたった1球のデッドボールで野球人生が暗転し悲劇の主人公となってしまった。
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