トニー・ガレントとは? わかりやすく解説

トニー・ガレント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 01:18 UTC 版)

ジョー・ルイスへの挑戦が決まり高揚するガレント。1938年11月9日、ワシントンD.C.にて

トニー・ガレント(Tony Galento、1910年3月12日 - 1979年7月22日)は、アメリカ合衆国出身の元ヘビー級プロボクサー、元プロレスラー。ニュージャージー州オレンジの生まれ。リング内外での型破りの言動と、ジョー・ルイスの7度目の世界王座防衛戦の相手として記憶されている。

貧しいイタリア系移民の子として生まれ、喧嘩の延長線上でボクシングを始める。身長175センチ、体重90キロのお世辞にもスマートと言えない体型から、“ツートン(2t)・トニー”と呼ばれた。

パンチにパワーはあったが、それ以上にバッティングやエルボーなど反則混じりのラフ・ファイトが得意。1939年6月、無敵のジョー・ルイスが保持する世界ヘビー級タイトルに挑み、3回に右スイングでルイスをダウンさせファンの度肝を抜いたが、結果は起き上がったルイスの反撃により4回TKO負けであった。

また、ガレントはショーとしてカンガルー、果ては大ダコとまで戦っている。大酒を飲んでリングに上がり、なぜか勝ってしまう、そんな古き良き時代の拳豪であった。引退後は映画に出演したり、プロレスのリングにも上がった。

通算戦績

114戦82勝(59KO)26敗6引分け

関連項目


トニー・ガレント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 16:09 UTC 版)

空手バカ一代」の記事における「トニー・ガレント」の解説

トッド若松倍達に「あなたが中止された熊との闘い実際に殺した男もいる」という実例として挙げた、2(ツートン異名取ったプロレスラー

※この「トニー・ガレント」の解説は、「空手バカ一代」の解説の一部です。
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