デュアン・オールマンの参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 15:55 UTC 版)
「いとしのレイラ (アルバム)」の記事における「デュアン・オールマンの参加」の解説
幸運な出来事は、ドミノスが1970年8月にクライテリア・スタジオで録音を始めた直後、デュアン・オールマンが合流したことであった。ベテランプロデューサー、トム・ダウドはオールマン・ブラザーズ・バンドのセカンドアルバム『アイドルワイルド・サウス』を手がけていたが、ある日電話を受け、クラプトンが録音のためドミノスとマイアミに来ることを知る。これを聞いたオールマンは、クラプトンが許可するなら、立ち寄って見学したいと希望した。 オールマンはその後ダウドに電話し、8月26日に慈善コンサートを行うためバンドと共に町に滞在していることを知らせた。クラプトンはダウドからこのことを聞いて、そのコンサートを見たいと希望し、「君は(ウィルソン・ピケットの)バックで『ヘイ・ジュード』を演奏する奴のことを言っているのかい?...僕は彼の演奏が見たい...行こう。」と話した。クラプトンと会社の経営陣は、ステージと聴衆を切り分けている囲いの前に着席した。彼らが座ったときオールマンはソロを演奏していた。振り向いて目を開き、クラプトンを見ると彼は凍り付いた。バンドのもう一人のギタリスト、ディッキー・ベッツはデュアンがやめたところに歩を進めたが、クラプトンに釘付けになったオールマンの目を追うと、彼自身が凍り付くのを防ぐために戻らなければならなかった。 ショーの後にオールマンは、いくつかのレコーディングセッションを見学するためにスタジオに立ち寄ってもいいか尋ねたが、クラプトンはそこで直接彼を招待し、「ギターを持ってきてよ。君もプレイするんだよ!」と話した。2人は夜通し語り合った。ダウドは彼らが「互いを褒め合い、ギターを交換し、店と情報について語り、ボール ― 互いの技術と設備に対する無制限の正当な賞賛 ― を持っていた。」と伝えた。クラプトンは後に自叙伝で、彼とオールマンはフロリダのセッションで不可分であったと記した。彼はオールマンについて「僕が持ち得なかった音楽の兄弟で、しかし願っていたものだ。」と語った。
※この「デュアン・オールマンの参加」の解説は、「いとしのレイラ (アルバム)」の解説の一部です。
「デュアン・オールマンの参加」を含む「いとしのレイラ (アルバム)」の記事については、「いとしのレイラ (アルバム)」の概要を参照ください。
- デュアン・オールマンの参加のページへのリンク