テンプル卿との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 21:52 UTC 版)
「ジョナサン・スウィフト」の記事における「テンプル卿との出会い」の解説
1682年、15歳になった彼はダブリン大学(ダブリンのトリニティ・カレッジ)に通い、1686年にB.A.(学士号)を受けた。1688年、スウィフトが名誉革命にかかわるアイルランドの政治的混乱によって、父祖の故地であるイングランドへと去らざるを得なくなった時、彼は修士となるために勉強していた。そこで幼いときに生き別れたとされて、再会した母からサリー州ムア・パーク(英語版)のウィリアム・テンプル卿の秘書・個人的助手としての地位を得るよう取りはからった。テンプルは1668年の三国同盟を調停したイングランドの往年の外交官であり、庭の手入れや自分の回想録を執筆するために公務から引退し、ムア・パークに居を営んでいた。スウィフトは次第に雇い主テンプルの信頼を得るようになり、しばしば非常に重要な問題を任されるようになった。3年間の親交のうちにテンプルは新しくイングランド王となったウィリアム3世に、自身の秘書であるスウィフトを紹介し、3年毎の議会の議案を承諾するよう王に促すためスウィフトをロンドンへ派遣した。 スウィフトがムア・パークで住居を構えた頃、彼は当時8歳のエスター・ジョンソンと出会った。家の使用人の一人娘で父親はいなかった。スウィフトは彼女の教師、指導者としてふるまい、彼女に「ステラ」の愛称を与えて、2人はエスターの残りの人生の間親密な、しかし曖昧な関係を維持した。
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