ティーレース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:26 UTC 版)
中国とヨーロッパとの貿易を東インド会社が独占していた時代には、紅茶は18ヶ月ないし24ヶ月かけてロンドンまで運ばれてきた。この独占が1834年に終了し、中国のいくつかの港で自由貿易が出来るようになると、多くのヨーロッパの船主が中国貿易に参入してきた。とりわけ、当時イギリスの上流階級だけの高級な飲物である紅茶をいかに新鮮なまま届けるかには高い関心が集まった。最初に届けられたその年の一番茶は高値で取引され、船主や船長は莫大な利益と名誉を得ることができた。 1850年には、ついに年内に新茶が届けられた。12月3日アメリカの新鋭帆船オリエンタル号が、1500トンの新茶を積み込んでロンドンに入港し、船価の2/3にも及ぶ運賃を稼いだのである。このニュースはイギリスにとって大きな衝撃となり、このティーレースに参戦すべく、Taeping、Leander、Blackadder、Hallowe'en、サーモピレーといった紅茶輸送のための快速船ティークリッパーが多数建造された。 ティークリッパーは外洋で高速が出せるよう、通常の帆船に比べ前後に細長い形状をしていた。港湾内で小回りの利かないこのような船型が可能となった背景には、蒸気機関を備えたタグボートが普及してきたことが挙げられる。
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