チャールズキングズリーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > チャールズキングズリーの意味・解説 

キングズリー【Charles Kingsley】

読み方:きんぐずりー

1819〜1875]英国宗教家小説家キリスト教社会主義唱えた小説オールトン‐ロック」「酵母」、童話水の子ら」など。


チャールズ・キングズリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 08:18 UTC 版)

チャールズ・キングズリー
誕生 (1819-06-12) 1819年6月12日
イギリス デヴォン ホルン
死没 1875年1月23日(1875-01-23)(55歳)
イギリス ハンプシャー エバースレイ
職業 牧師、歴史家、小説家
国籍 イギリス
最終学歴
活動期間 19世紀
ジャンル キリスト教社会主義
文学活動 キリスト教社会主義
配偶者 フランセス・エリザ・グレンフェル
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

チャールズ・キングズリー: Charles Kingsley, 1819年6月12日 - 1875年1月23日)は、英国国教会の司祭、大学教授、改革論者、歴史家、小説家。キングズリーは特にキリスト教社会主義ザ・ワーキング・メンズ大学英語版、それから取り組みとしては失敗したものの後の進歩主義時代 (アメリカ合衆国)の労働改革に影響を及ぼす労働者協同組合に深く関わる。特派員・学者チャールズ・ダーウィンの友人で同僚である[1]。作家、探検家のメアリー・キングスリーの叔父でもある。

人生と文学

Holne(デボン州)で牧師チャールズ・キングズリーと彼の妻メアリー・ルーカス・キングズリーの長男として生まれる。弟ヘンリーも小説家になった。

幼年期はクロヴェリー(デボン州)とバルナック(ノーサンプトンシャー州)で過ごした。教育を受けたのはヘルストン・グラマー・スクール。ロンドン大学キングスカレッジケンブリッジ大学で学んだ。ケンブリッジのモードリン・カレッジに1838年入学、1842年卒業[2]

教会の聖職に就くことにした。1844年からEversley(ハンプシャー州)の司祭になった。

キリスト教社会主義の運動に共感したキングズリーは、しばしばロンドンに出てきては、運動の宣伝活動を積極的に行い、彼の扇動者的な性格も幸いして、この運動の普及に大きく貢献した。[3]

1859年、ヴィクトリア女王から牧師に任命された。1860年、ケンブリッジ大学の近代史教授になった。1861年に家庭教師になった相手は当時のプリンス・オブ・ウェールズだった。1869年にケンブリッジの教授職を辞任し、1870年から1873年にチェスター大聖堂の聖堂参事会員だった。

このころ、グローバナー博物館とともに、自然科学、文学、芸術のためのチェスター協会を設立した[4]。1872年にミッドランド研究所の第19代所長になった。1873年にウェストミンスター寺院の聖堂参事会員になった。

キングズリーは1866年にエドワード・エア国防委員会に、トーマス・カーライルジョン・ラスキンチャールズ・ディケンズアルフレッド・テニスンらといっしょに入った。彼は、ジャマイカ総督エドワード・エアの「モラント・ベイの反乱」に対する残虐な弾圧を支持した。キングズリーは、トーマス・ハクスリーから、1860年から1863年に不可知論に関する手紙を受け取っていた。

キングズリーは、1875年に死亡し、セントメアリー教会の墓地に埋葬された。娘の一人メアリー・セントレガー・キングズリーは「ルーカス・マレット」のペンネームを使った小説家だった。1877年に彼の未亡人は伝記『チャールズ・キングズリー、彼の手紙や彼の人生の思い出』を出版。

作品

  • 酵母(小説、1848年)
  • 聖人の悲劇(戯曲)
  • アルトンロック(小説、1849年)
  • 二十五の村での説教(1849年)
  • 安い服と淫乱(1850年)
  • フェートンまたはルース:思想家のための想い(1852年)
  • 主題に関する説教(第1シリーズ、1852年)
  • ヒュパティア(小説、1853年)
  • グラウコスまたはショアの不思議(1855年)
  • 主題に関する説教(1854年)
  • アレクサンドリアと彼女の学校(1854年)
  • ホー!(小説、1855年)
  • 時代の説教(1855年)
  • 英雄:ギリシャのおとぎ話(1856年)
  • 二年前(小説、1857年)
  • アンドロメダやその他の詩(1858年)
  • 神の福音:説教(1859年)
  • 文集(1859年)
  • 正確な科学の限界(教授就任講義、1860年)
  • タウン&カントリー説教(1861年)
  • 五つの説教(1863年)
  • 水の子どもたち(1863年)
  • ローマンとチュートン(1864年)
  • デビッド:説教(1866年)
  • 英語の最後(ロンドン:マクミラン、1866年)
  • 旧体制(王立研究所での講演、1867年)
  • 生命と説教(1867年)
  • ハーミッツ(1869年)
  • マダム:女性はなぜ(1869年)
  • 西インド諸島のクリスマス(1871年)
  • 地質(1872年)
  • 規律と説教(1872年)
  • 散文(1873年)
  • 演劇とピューリタン(1873年)
  • 健康と教育(1874年)
  • ウェストミンスターでの説教(1874年)
  • アメリカでの講義(1875年)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Hale, Piers. "Darwin's Other Bulldog: Charles Kingsley and the Popularisation of Evolution in Victorian England." Science & Education 21, no. 7 (2012): 979. URL- http://faculty-staff.ou.edu/H/Piers.J.Hale-1/DARWIN'S%20OTHER%20BULLDOG%202011.pdf . 3rd page of the PDF.
  2. ^ "Kingsley, Charles (KNGY838C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ Ingurando no shūkyō : Angurikanizumu no rekishi to sono tokushitsu. Osamu Tsukada, 理 塚田. Tōkyō: Kyōbunkan. (2004). ISBN 4-7642-7232-6. OCLC 675025511. https://www.worldcat.org/oclc/675025511 
  4. ^ Information Sheet: Charles Kingsley”. Cheshire West and Chester. 2011年7月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年4月19日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

チャールズキングズリーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チャールズキングズリーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチャールズ・キングズリー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS