チャンピオン争い ~0.5ポイント差~
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:39 UTC 版)
「1984年のF1世界選手権」の記事における「チャンピオン争い ~0.5ポイント差~」の解説
「過給機付きエンジン車の最大燃料搭載量220L、および決勝レース中の再給油禁止」というレギュレーションが施行され、ターボエンジン開発は出力向上と共に燃費という新たな課題を負うことになった。 この年、本格始動したマクラーレンとポルシェ(バッジネームはTAG)のジョイントが16戦中12勝(うちワンツーフィニッシュ4回)。コンストラクターズポイントで2位に86点差をつける圧勝劇を演じた。予選ではブラバム・BMWのネルソン・ピケが9ポールポジションと最速だったが、信頼性を含めた総合力ではマクラーレンが抜きん出ていた。 ドライバーズチャンピオンもマクラーレンのチームメイト間の争いとなり、ルノーから復帰したアラン・プロストが7勝、ニキ・ラウダが5勝を挙げた。この年、ラウダは1度もポールポジションを獲得していないが、ベテランらしいレース運びでプロストの勢いに対抗した。最終戦も予選11位スタートから2位でゴールし、僅か0.5ポイントというF1史上最少得点差で3度目のワールドチャンピオンに輝いた。
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