チャンピオン戴冠したヒルの放出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:53 UTC 版)
「1996年のF1世界選手権」の記事における「チャンピオン戴冠したヒルの放出」の解説
チャンピオンを決めたデイモン・ヒルであったが、翌シーズンの契約に関しては交渉がスムーズに進まず、逆にチームからイタリアGPを目前に控えた8月26日に解雇通告を受ける事態となった。このヒルの解雇劇はウィリアムズチームがルノー撤退後にBMWエンジンとのジョイントを狙っており、ドイツ人ドライバーとの契約を欲していた面があると言われている。ヒルの元には、プロストグランプリやジョーダン、スチュワートグランプリから複数年のオファーがあったものの、翌シーズンオフにマシンデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイが移籍をしたマクラーレンへの移籍を見越して、ヒル自身が単年契約を望んでいたことから、結局中堅のアロウズへ移籍することになった。この解雇劇はヒルに信頼を寄せていたデザイナーのエイドリアン・ニューウェイの逆鱗に触れ(チームからは事前の相談もなかった)、チーム方針を巡って意見の不一致もあり、ニューウェイはウィリアムズと決別しマクラーレンへ移籍を決断。1996年は結果的に影響はなかったものの、1997年のマシン設計とその完成を見届けると以降の開発作業には関わらないとして出社拒否。1997年はチーム側はニューウェイ不在のままシーズンを迎えることとなり、逆に両者は法廷闘争に発展。当時はニューウェイの移籍騒動という程度の認識であったが、これらが後々ウィリアムズにとって大きな影響を及ぼす事になる。
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