ダンセラフィニとは? わかりやすく解説

ダン・セラフィニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 07:07 UTC 版)

ダン・セラフィニ
Dan Serafini
基本情報
国籍 アメリカ合衆国 
出身地 カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1974-01-25) 1974年1月25日(51歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1996年6月25日
CPBL / 2002年8月21日
NPB / 2004年4月12日
最終出場 CPBL / 2002年8月29日
NPB / 2007年5月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム イタリア
WBC 2009年2013年

ダニエル・ジョゼフ・セラフィニDaniel Joseph Serafini, 1974年1月25日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手投手)。イタリア系アメリカ人である。

サーフィンが趣味で、その事と自らの名前にかけたニックネームサーフ。台湾球界での登録名は、丹尼

経歴

ロッテ入団前

2000年までに、メジャー4球団に在籍。2002年には台湾で、2003年にはリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルシンシナティ・レッズでプレーした[1]


ロッテ時代

2004年1月31日NPB千葉ロッテマリーンズへ入団。主にリリーフとして起用後、ネイサン・ミンチー離脱後は先発ローテーションに加わる。9月9日の対ダイエー戦で、死球に激高したフリオ・ズレータとマウンド上で乱闘となり、負傷した挙句双方退場となる。

2005年はシーズンは1年を通して先発ローテーション入りして11勝を挙げ、チームにとって1995年以来10年ぶりとなるパシフィック・リーグレギュラーシーズンAクラス入り(2位)に貢献した。また登板間隔が空いた時には中継ぎも務める。オールスターゲーム終了後は左足を負傷しボビー・バレンタイン監督曰く「投球はできるが、走れない」状況で、ベースカバーもほとんどままならなかった。同年チームはパ・リーグのレギュラーシーズンは2位で終えたが、同1位である福岡ソフトバンクホークスとのリーグ優勝を賭けたプレーオフ第2ステージで、セラフィニは2度杉内俊哉と投げ合い1勝を挙げ、同プレーオフ、そし1974年以来となるリーグ優勝に貢献。日本一を決めた阪神タイガースとの日本シリーズ第4戦でも勝利投手となる。シーズンオフにロッテは交渉を求めたが12月5日自由契約選手となった。

オリックス時代

ロッテ退団後の2005年12月16日年俸150万ドル(1億7200万円)の1年契約でオリックス・バファローズと契約する。2006年は左肩痛の影響で開幕から調子が上がらず、5月1日に治療のため一時帰国。全治1ヶ月の臍ヘルニアのため9月8日に帰国し、再来日することなく、7試合出場で0勝4敗。

2007年は、3月29日の対北海道日本ハムファイターズ戦で7回1/3を無失点に抑えて移籍後初及び2年ぶりの勝利を挙げる。その後も先発ローテーションに入るが、5月13日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で4回途中7失点KOされ、その際に右手親指を骨折して登録抹消され手術のため帰米。6月29日に再来日するが、7月14日にオリックスから解雇が発表された。9試合の登板で2勝5敗・防御率5.40だった。

オリックス退団後

オリックス退団後はコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結び、2007年9月にメジャーに復帰したが、その年限りで解雇された。11月27日、薬物規定に違反したとして50試合の出場停止処分を科せられた。

2009年は、第2回WBCイタリア代表に選出され、3月9日のカナダ戦で先発し、勝利投手となる。大会終了後はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのモンテレー・サルタンズに所属し、4月13日に先発し5回5失点で敗戦投手となり、この試合をもって解雇される。

2010年独立リーグアトランティック・リーグブリッジポート・ブルーフィッシュに所属し、2011年に再びリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのモンテレイ・サルタンズに移籍する。

以降はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルや独立リーグでプレーし[1]2013年まで現役を続けた。また同年、第3回WBCイタリア代表として選出される[2]

2011年頃からはネバダ州スパークスで「Throw Like a Pro Baseball Academy」という野球アカデミーのオーナーを務めていた[3]。また妻とともに「The Oak Tavern」というバーも経営していた。

2023年10月20日、逮捕されたことが複数の米メディアにより報じられた。2021年に義父を銃弾により殺害した容疑がもたれている。なお義母の殺人未遂の容疑でも起訴されている[4]。義母は銃で撃たれた状態で発見され、けがからは回復したが、約1年後に自殺した。家族は事件のトラウマが自殺の要因としている[5]2025年7月14日、カリフォルニア州プレイサー郡の陪審は義父を殺害、義母を負傷させた第1級殺人罪などで有罪評決を下した[5]

選手としての特徴

球種は最高球速150 km/h近くのストレートに加え、スライダーチェンジアップを投げる[6]制球力に難のある投手だが、勢いのある速球が適度に荒れながらも要所を締め、打者を威圧するような投球が特徴[6][7]

牽制の技術に長けており、チームメートの福浦和也からは「投球と判別できないほど」と評された[8]。ロッテ時代はレギュラーシーズンのみならず、日本シリーズでも走者を牽制球で刺す場面が見られた[9]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1996 MIN 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 23 4.1 7 1 2 0 1 1 0 0 5 5 10.38 2.08
1997 6 4 1 0 0 2 1 0 -- .667 111 26.1 27 1 11 0 0 15 1 0 11 10 3.42 1.44
1998 28 9 0 0 0 7 4 0 -- .636 345 75.0 95 10 29 1 1 46 2 0 58 54 6.48 1.65
1999 CHC 42 4 0 0 0 3 2 1 -- .600 302 62.1 86 9 32 3 1 17 3 0 51 48 6.93 1.89
2000 SD 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 3.0 9 2 2 0 0 3 1 0 6 6 18.00 3.67
PIT 11 11 0 0 0 2 5 0 -- .286 280 62.1 70 9 26 1 4 32 2 0 35 34 4.91 1.54
'00計 14 11 0 0 0 2 5 0 -- .286 300 65.1 79 11 28 1 4 35 3 0 41 40 5.51 1.64
2002 中信 2 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 31 4.2 10 0 5 0 1 1 0 0 6 6 13.50 3.21
2003 CIN 10 4 0 0 0 1 3 0 -- .250 141 30.0 41 5 14 1 0 13 1 0 23 18 5.40 1.83
2004 ロッテ 31 10 0 0 0 5 4 0 -- .556 357 80.2 80 11 35 2 4 66 2 1 48 37 4.13 1.43
2005 27 22 2 0 0 11 4 0 1 .733 627 151.1 137 12 56 3 5 117 5 0 60 49 2.91 1.28
2006 オリックス 7 5 0 0 0 0 4 0 0 .000 114 21.2 34 7 11 0 4 11 3 0 24 24 9.97 2.08
2007 9 8 0 0 0 2 5 0 0 .286 202 45.0 57 3 20 1 1 23 3 0 29 27 5.40 1.71
COL 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 0.1 0 0 2 0 1 0 0 1 2 2 54.00 6.00
MLB:7年 104 33 1 0 0 15 16 1 -- .484 1226 263.2 335 37 118 6 8 127 10 1 191 177 6.04 1.72
CPBL:1年 2 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 31 4.2 10 0 5 0 1 1 0 0 6 6 13.50 3.21
NPB:4年 74 45 2 0 0 18 17 0 1 .514 1300 298.2 308 33 122 6 14 217 13 1 161 137 4.13 1.44

記録

NPB

背番号

  • 22 (1996年)
  • 16 (1997年 - 1998年)
  • 33 (1999年)
  • 55 (2000年)
  • 45 (2000年)
  • 38 (2002年)
  • 50 (2003年)
  • 42 (2004年 - 2005年)
  • 29 (2006年 - 2007年)

脚注

  1. ^ a b https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=serafi001dan
  2. ^ Italy at the 2013 World Baseball Classic
  3. ^ Dan Serafini on baseball cards” (英語) (2011年11月23日). 2023年10月22日閲覧。
  4. ^ ロッテ、オリックスでプレーした元投手セラフィニが義父の殺人容疑で逮捕 義母の殺人未遂容疑も”. スポニチ (2023年10月21日). 2023年10月22日閲覧。
  5. ^ a b “MLB=元メジャー投手、義父殺害などで有罪評決 日本でもプレー”. ロイター. (2025年7月16日). https://jp.reuters.com/life/sports/RVB2EKLFUNM5TE5LBCOXELH4IM-2025-07-16/ 2025年7月16日閲覧。 
  6. ^ a b 『プロ野球スカウティングレポート2006』アスペクト、2006年、110-111頁。ISBN 4-7572-1246-1 
  7. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』白夜書房、2007年、59頁。 ISBN 978-4-86191-246-7 
  8. ^ 鈴木長月『千葉ロッテマリーンズあるある2』TOブックス、2015年、115頁。 ISBN 978-4-86472-405-0 
  9. ^ 『おめでとう!千葉ロッテ日本一』日刊スポーツ出版社、2005年、25頁。 ISBN 978-4-8172-5279-1 

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

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千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 高橋二三男  石塚雅二  ダン・セラフィニ  吉岡悟  蔡森夫
ニューヨーク・メッツの選手 トム・グラビン  ラリー・ボーワ  ダン・セラフィニ  ドワイト・グッデン  シェーン・ホルター
シカゴ・カブスの選手 ジョン・コロンカ  ラリー・ボーワ  ダン・セラフィニ  マイカ・ホフパワー  ジョン・リーバー
シンシナティ・レッズの選手 レニー・ハリス  ドウェイン・ワイズ  ダン・セラフィニ  エリック・アンソニー  ジョージ・カルバー
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ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 ジョージ・ヘンドリック  レジー・ウィリッツ  ダン・セラフィニ  シェーン・ホルター  マーカス・グウィン
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