ダイヤモンド映像時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 18:38 UTC 版)
1988年9月に、ダイヤモンド映像を設立した(村西は事実上のオーナーだったが、代表取締役には就いていない)。 同年7月には、1989年第15回参議院通常選挙の出馬を宣言し、9月には「全日本ナイス党」を結党。しかし、政党結党式の翌日、16歳の少女を出演させたとしてまたもや児童福祉法違反容疑で逮捕。村西側は、未成年だった女優が姉の免許証を利用して年齢を偽っていたと主張したが、懲役1年、執行猶予5年の判決を受ける。 ダイヤモンド映像では、桜樹ルイら10名以上の専属女優を抱え、目黒区青葉台・代々木上原に構えた本社でスタッフと女優が共同生活を送る。専属女優の中でも松坂季実子の作品はとくに人気を集め、このころ村西の年商は100億円超に達したとされる。このほか、黒木香の店(いわゆるタレントショップ)として渋谷東急文化村付近には高級焼肉店「香貴苑」を出店している(後に閉店)。 さらに日本ビデオ映画を設立し、かとうれいこ、本田美奈子、飯島直子、秋本奈緒美、横須賀昌美など一般のタレントを起用して、1990年から1992年にかけてビデオ映画の製作に進出。また、パワースポーツ企画販売ではアイドルのイメージビデオを手がけた。その他のグループ企業にはビックマンとビックマン販売がある。 しかし、ビデオ映画は失敗し、同時に過剰な不動産投資や、特に『通信衛星放送事業への過大投資』などによって、ダイヤモンド映像は1992年に約50億円の負債を抱えて倒産するに至った。
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