タンカーとの衝突
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「フェリーすみよし」の記事における「タンカーとの衝突」の解説
1991年4月27日、0時18分ごろ、大阪南港から新門司港へ向かっていた本船は、来島海峡の西口、来島梶取ノ鼻灯台の北方約4,450メートルの地点で小型タンカー第十八鶴汐丸と衝突した。鶴汐丸の船首が本船の右舷後部に後方から約80度の角度で衝突、本船は右舷後部の外板に小破口を伴う凹損を生じ、第十八鶴汐丸は左舷船首部が圧壊した。事故発生当時、天候は霧で風はほとんどなく、視程は約100メートルであった。事故原因は、霧のため視界が著しく制限された状況で航行中、本船が全速力で進行し、第十八鶴汐丸と著しく接近する状況となっても速力を落とさず右転したこととされたが、第十八鶴汐丸が、本船と著しく接近する状況となった際、減速せず右転したこともその一因とされた。
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タンカーとの衝突
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「神戸丸 (四国フェリー・3代)」の記事における「タンカーとの衝突」の解説
1997年5月18日、1時25分ごろ、神戸港から高松港に向かっていた本船は、小豆島地蔵埼灯台の南南西930メートルの地点で、小型タンカー裕洋丸と衝突した。備讃瀬戸東航路東口へ向かって西行していた本船の右舷船首が、同航していた裕洋丸の左舷船首に後方から約15度の角度で衝突、直後に本船の右舷後部と裕洋丸の左舷後部が再度衝突した。衝突により、本船は右舷船首部に軽微な凹損および右舷後部に擦過傷を生じ、裕洋丸は左舷船首部および左舷後部に凹損を生じた。本船は衝突約6分前に裕洋丸を確認していたが、左舷45度から方位の変化なく接近する第三船の動向に集中しており、衝突約3分前には、第三船と衝突の危険を感じて、極微速前進として第三船と裕洋丸へ探照灯を照射したが、衝突に至った。事故原因は、本船が動静監視不十分で、衝突回避措置をとらなかったことにより発生したが、裕洋丸が動静監視不十分で、警告信号を行わず衝突回避措置をとらなかったことも一因とされた。
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