セリア=バダス間の狭軌鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 20:41 UTC 版)
「ブルネイの鉄道」の記事における「セリア=バダス間の狭軌鉄道」の解説
1930年代以降、セリアとバダス (Badas) の間、全長19.3キロメートル (12.0 mi)を、600 mmゲージを用いた狭軌鉄道が結んでいた。木製のレールを用いたこの線路を敷設したのは、後のブルネイ・シェル石油 (Brunei Shell Petroleum) の前身であったブリティッシュ・マラヤン石油 (British Malayan Petroleum Company, BMP) であり、バダスにあったジョージ・ウィリアム・パーシヴァル・クラーク (George William Percival Clark) が運営するスンガル・ベライト川 (Sungai Belait River) の取水点から、セリアまで、水を運ぶのが目的であった。後には、パイプラインの管の輸送にも用いられた。 第二次世界大戦中、BMPの職員は、この鉄道の運行に必要な設備の一部を隠し、統治を占領した日本軍が鉄道を使用できないようにした。オーストラリア陸軍第9師団が当地を解放した後、隠されていた設備が1945年7月に発見されて戻され、程なくして運行が再開され、25ポンド榴弾砲2門と弾薬がバダスに運ばれ、まだ周辺の残留していた日本軍を追い散らすために使用された。 いくつかの報告によれば、1999年の時点でも、この鉄道は使用され続けていたという。線路は2013年 時点でも木材の運搬に利用されたり、遊歩道として利用されている。
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