セブンシスターズの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:59 UTC 版)
「セリエA (サッカー)」の記事における「セブンシスターズの台頭」の解説
1990年代中盤より、衛星有料放送の普及によるサッカーのビジネス化、ボスマン判決による外国人選手獲得の自由化などカルチョの国際化が進む中で急激な変化が起き、ボローニャやナポリ、トリノ、ジェノアなどのクラブが降格した。中堅クラスのクラブは成長に成功したグループと没落するグループに大別され、「三階建て」の構造は崩壊した。こうした中で台頭したのが「セブン・シスターズ」とも呼ばれるビッグクラブグループだった。すなわち、従来のビッグ3であるユヴェントス、ミラン、インテル、それに準ビッグクラブのローマ、新たなビッグクラブとしてラツィオ、フィオレンティーナ、パルマが加わった7クラブだった。新興勢力であるフィオレンティーナ、パルマ、ラツィオは、カルチョビジネスの拡大バブルに伴い、大型補強を行って優勝争いに加わった。フィオレンティーナは映画製作者のマリオとその息子ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ、ラツィオは食品メーカー大手チリオのセルジョ・クラニョッティ、パルマは食品メーカー大手パルマラットのカリスト・タンツィの元で莫大な資金を投入し、1999-2000シーズンは上位1~7位までをセブン・シスターズが占めた。セブン・シスターズは国内のみならず、ヨーロッパにおいても躍進を遂げた。しかし、サッカーバブルが崩壊し、過剰な投資と放漫財政の破綻が明らかになると、従来のビッグ3を除くクラブは経営難にあえぐこととなり、セブン・シスターズの構図は崩壊する。フィオレンティーナはチェッキ・ゴーリによる主力選手の売却などを経て2002年に破産した。ラツィオもクラニョッティによる無謀なチリオの経営が破綻したために破産寸前に追い込まれ、パルマも2003年、パルマラットの粉飾決算事件を機に不良債権を抱えてしまった。ローマも例外ではなく、センシ会長の元で巨額の負債を抱えることになった。
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