スプリングフィールドからの分離と現代史
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「チコピー (マサチューセッツ州)」の記事における「スプリングフィールドからの分離と現代史」の解説
カボットビル、チコピーフォールズ、ウィリマンセット、フェアビューの各ビレッジ(およびアルデンビルとなる土地)は、1636年から1848年までスプリングフィールドの一部に留まていたが、その年、分離してチコピーの町を形成することになった。スプリングフィールドの政治的会派はスプリングフィールドが「市」になって市長制を採るよりも「町」のままであることを望んだ。州法では一定の人口になると市になることを求めており、それを避けるためにチコピーを分離して人口を小さくした。このとき領域の5分の2、人口の半分近くがチコピーに移った。このような分割を行っても、スプリングフィールドはチコピーを分離してから4年後に、市に昇格した。両市は分離後も1世紀以上にわたって繁栄を続けた。 1890年4月18日、チコピー町はマサチューセッツ州議会から市としての設立を認められた。1891年1月5日、ジョージ・シルベスター・テイラー(1822年-1910年)がチコピーの初代市長になった。 ウェストーバー飛行場は、1939年にフランクリン・ルーズベルト大統領が署名した戦争遂行予算によって創設された。その場所は、フェアビューの東と部分、アルデンビューの東、ウィリマンセット北部にある元はタバコ農園だった。そこはアメリカ陸軍航空隊北東空域部隊に割り当てられた。1948年に空軍が別の軍隊として創設されたあとはウェストーバー空軍基地と改名された。1974年、基地の司令部が空軍予備役隊に渡された。 1991年、フロント通りにある聖スタニスラウス、ビショップ & 殉教者大聖堂がローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によってマイナー・バシリカと宣言された。
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