ストラヴィンスキーとディラン・トマス
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「ディラン・トマス追悼」の記事における「ストラヴィンスキーとディラン・トマス」の解説
1951年にオペラ『放蕩児の遍歴』を成功させたストラヴィンスキーのもとには、さまざまな注文が舞いこんできた。その中のひとつにイギリスのマイケル・パウエル監督による『オデュッセイア』を元にした短編映画があり、ディラン・トマスとストラヴィンスキーが参加することになっていたが、この企画は立ち消えになった。 ついで1953年に、ディラン・トマスと共同で新しいオペラを作る企画が持ちあがった。ディラン・トマスは5月にストラヴィンスキーに会い、原子爆弾で世界が破滅した後に地球が再発見され、言語が再創造される話を作る案について話した。いったん帰国した後、10月に再び渡米し、ニューヨークでの仕事を終えてからハリウッドを訪れてストラヴィンスキーとの仕事を開始する予定だったが、11月9日にニューヨークで急死してしまった。 ストラヴィンスキーはディラン・トマスの有名な詩 "Do not go gentle into that good night" に作曲して、記念とした。この詩はディラン・トマスが父親の死に臨んで作った、リフレインを特徴とするヴィラネル形式の詩で、19行のうち1行めと3行めが4回ずつくり返される。ストラヴィンスキーはくり返される行に同じ旋律をあてている。 曲は1954年3月に完成し、同年9月20日にロバート・クラフトの指揮によりロサンゼルスの「月曜の夕べのコンサート」で初演された。
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