ストラヴィンスキーとの関係
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「シャルル=フェルディナン・ラミュ」の記事における「ストラヴィンスキーとの関係」の解説
第一次世界大戦中にイーゴリ・ストラヴィンスキーはスイスのヴォー州に滞在しており、指揮者エルネスト・アンセルメの紹介で1915年9月にラミュと会った。共同作業がしやすいように、ストラヴィンスキーはローザンヌに近いレマン湖北岸のモルジュに引っこし、戦後も1920年5月まで住んだ。当時ストラヴィンスキーはピョートル・キレーエフスキーおよびアレクサンドル・アファナーシェフの民話集をもとに声楽曲を作曲しており、ラミュはそれらをフランス語に翻訳した。 ストラヴィンスキーとの共同作業は『きつね』の翻訳にはじまり、『結婚』の翻訳、『兵士の物語』の台本、および『プリバウトキ』『猫の子守唄』『子供のための3つのお話』『4つのロシアの歌』などの歌曲集の歌詞の翻訳がある。 とくに1918年に初演された『兵士の物語』はロシア民話にもとづいているものの、ラミュによる発案の部分が多いと考えられている。『兵士の物語』に見られる田舎の価値観と現代的生活の対立という主題はラミュの作品にはなじみ深いものだが、ストラヴィンスキーはそれまでそのような作品を書いたことがなかった。 当時の様子について、ラミュはのちに『ストラヴィンスキーの思い出』(Souvenirs sur Igor Strawinsky, 1929)という書物を書いている。
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