スチュワートとシェクター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:06 UTC 版)
「フランソワ・セベール」の記事における「スチュワートとシェクター」の解説
スチュワートはシーズン15戦中13戦目となるイタリアGPの終了時点で、3度目のドライバーズチャンピオン獲得を決めた。スチュワートはF1の安全対策の推進に尽力したいこと、及び愛弟子セベールの成長により、自身のF1参戦100戦目となるシーズン最終戦アメリカGPを最後に現役引退することを決めていた。そして、ティレルF1チームのNo1ドライバーをセベールに譲る予定であった。その決断は妻ヘレンにさえ言っておらず、シーズン前にケン・ティレルとエンジンを供給しているフォードの責任者、ウォルター・ヘイズにだけ打ち明けていた(後にスチュワートはアメリカGP前にこの決定をセベールに言わなかったことを後悔していると語っている)。 ケン・ティレルはエースとなるセベールをサポートするNo.2ドライバーに据えるつもりでジョディー・シェクターと翌年の契約をした が、上記の事情を全く知らなかったセベールにとってシェクターの移籍加入はショックを受けるものであり、他のトップチームからのオファーを受け移籍も考えていた。 そのシェクターは前戦であるカナダGPでセベールを巻き込んでリタイアし一悶着となった。シェクターは同年クラッシュが多くレーサーライセンスの剥奪も検討されたほど運転が荒いドライバーとされており(フランスGPにてエマーソン・フィッティパルディを巻き込みクラッシュ、イギリスGPにて後続8台を巻き込むスピンを喫しF1史上初の赤旗レース中断の原因となり第10-14戦まで休養を命じられ、復帰戦・カナダGPでセベールとクラッシュ)、セベールはシェクターのドライビングを「そこに戦争があるかのように荒い」と批判し遺恨を残していた。また、その接触でセベールは足首を負傷しアメリカGP欠場も考えられたが、「自分はプロ」という思いで出場を強行していた。
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