スタイリング・デザイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 19:05 UTC 版)
「GAZ-M20 ポピェーダ」の記事における「スタイリング・デザイン」の解説
スタイリングを手掛けたのは、ヴェニアミン・サモイロフ(Veniamin Samoilov)で、当初のデザインモチーフにはオペル・カピテーンの影響も見られたが、最終的には1940年頃のアメリカ車並みのデザイン水準まで進歩した4窓・ファストバックスタイルのセダンとして完成された。ソ連のガラス供給事情の制約から、フロントウインドシールドをセンターに細いピラーの立った平面2分割としたまま、最後まで生産された。 サモイロフの最終デザインまでには、独立フェンダーを排したフルワイズ・フラッシュサイドスタイルのアイデアも他のデザイナーから提出されたというが、実現したのはファストバックスタイルのみであった。大戦中のアメリカからのレンドリースを介し、民生用乗用車生産が戦時中止される1942年型まで続いていたアメリカ車のデザイン革新トレンドが、ソ連にまで伝播していたことが推察される。 完成したM-20は、基本的にはやや鈍重ながら、過激さを抑えたれっきとしたオリジナルデザインで、在来のフォード型GAZや、スターリン記念工場(ZIS)による共産党幹部用リムジンZIS-110(アメリカ車パッカードのプレス型を流用)のようなアメリカ車の単純フルコピーから脱したことは、技術陣の意欲を示すものであった。 M20ポピェーダのデザインは、ほぼ同時期に開発されていたスウェーデンのボルボ・PV444と並び、アメリカの最新鋭デザイントレンドをいち早くキャッチアップした事例と言える。 内装はベージュ、グレー、ブラウン系のパステルカラーとされ、メッキパーツ類は少なめだった。代わりに、随所に新素材であるプラスチックが採用され、内装に柔らかな印象を与えた。
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