スキピオの戦役(前134年 - 前133年)
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「ヌマンティア戦争」の記事における「スキピオの戦役(前134年 - 前133年)」の解説
最初の戦いから20年近くたった前134年に、前151年にも副司令官として参戦していたスキピオ・アエミリアヌスがピソの後任の司令官となった。スキピオは従属国の派遣部隊と庇護民と友人で友人部隊という私兵を作り、ヒスパニアに駐屯する正規のローマ軍への増援とし、軍の訓練をやり直してから遠征に乗り出した。参加者には後に軍人として名を挙げたガイウス・マリウスもいた。 スキピオはヌマンティアの近くに陣営を置き、付近の野に種をまいて穀物を収穫した。それから略奪遠征に乗り出し、ヌマンティア近郊とワッカエイ人の土地を荒らして食糧不足に陥れようとした。スキピオは遠征軍をもってパランティア人の待ち伏せをやり過ごし、ルクッルスが騙し討ちにしたカウカエイ人と和を結んでから、陣営に帰り、冬営に入った。冬営中に、ヌミディアからユグルタが12頭の象と弓兵と投石兵を率いて援軍に来た。スキピオは冬の間も略奪遠征を繰り返した。 翌年に、スキピオはヌマンティアのそばに軍を進めた。スキピオは軍を二つに分けて陣営をもってヌマンティア市をはさみ、さらに砦を作って包囲の形をとり、市を完全に包み込む城壁を築きはじめた。ヌマンティア人はしばしば出撃して工事を妨害しようとしたが、その都度陣営からローマ軍が駆けつけて撃退した。ヌマンティアを流れる川の通行を封じるために、川を横切って縄を差し渡し、その縄から剣を植えた丸太をぶら下げた。こうしてスキピオはヌマンティア人を兵糧攻めにした。 ヌマンティア人は出撃の度に撃退されて窮乏した。ヌマンティアの勇士レトゲネスと彼の五人の友は、五人の奴隷の助けで城壁に上り、門を制圧して攻囲から抜け出した。レトゲネスらは周辺の諸部族に援軍を求めたが、応じるものはなかった。反対に、多くの部族がスキピオの号令に従って攻囲軍に援軍を派遣した。 ヌマンティア人は食糧が尽きて降伏した。スキピオはヌマンティア人を奴隷にして売り払い、町を完全に破壊した。 はるか後に、考古学者はヌマンティア市と攻囲軍の陣営や城壁を発掘した。
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