スキピオ、カルタゴに上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:03 UTC 版)
「ウティカの戦い (紀元前203年)」の記事における「スキピオ、カルタゴに上陸」の解説
アフリカ侵攻は紀元前204年に開始された。数百隻の輸送船で35,000以上のローマ兵が、カルタゴ西方35kmのファリナ岬(またはプルクルム 地図)に上陸した。スキピオ自身の上陸は、カルタゴに不安と恐れを巻き起こし、その結果として生じた混乱を利用して幾つかの街を占領し、また郊外の略奪を行った。スキピオに対するカルタゴ軍の司令官はハスドルバル・ギスコであった。ハスドルバルはスキピオの略奪行為を止めさせ、またその動きを抑えるために、かなりの数の騎兵を派遣したが、サラエカの近くでローマ軍に撃破された。このため、スキピオは一時的な優位を得、さらにヌミディアのマッシニッサの合流により兵力が強化された。他方、シュファクスは揺れており、ハスドルバルの行動は制限された。このためローマ軍は損害を受けることなく略奪を続けることが出来た。
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