ジューダス・プリースト時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 06:14 UTC 版)
「ティム・オーウェンズ」の記事における「ジューダス・プリースト時代」の解説
バンド脱退後、ジューダス・プリーストのコピーバンドである『British Steel』でアマチュア活動をしていただけのキャリアから、いきなりロブ・ハルフォードの後任としてジューダス・プリーストに加入したことで一躍有名となる。そのきっかけは、ジューダス・プリーストのドラマーであるスコット・トラヴィスが当時ロブの後任探しに難航していたバンドに見せた1本のビデオテープだった(本人及びBritish Steelには無断で)。ロンドンのスタジオでオーディションを行い、「生贄」の2番まで歌ったところ、即採用が決まったという。 加入時、「ティム "リッパー" オーウェンズ」というステージネームを名乗っており、以降通称としてリッパーとも呼ばれる。なお、加入当時からの持ち歌は「切り裂きジャック」である。 ロブの後任のオーディションには元ガンマ・レイ~現プライマル・フィアのラルフ・シーパースや、ロイヤル・ハントのD.C.クーパーといった錚々たるメンバーが参加していたとされ、直前までコピーバンドをしていたティムが選ばれたことは意外な人選として話題になった。 ティム加入の第1弾アルバム「ジャギュレイター」は前作「ペインキラー」の延長線上にありながら、当時流行していたモダン・ヘヴィネス(特にパンテラに代表されるグルーヴ・メタルの影響が顕著)の要素を多分に含んでおり、古参のファンからは不評だった。しかし、ティムのヴォーカリストとしての力は認めるファンは多く、7年ぶりのツアーは会場は縮小されていながらも異様な盛り上がりを見せ、好評の内に終了した。この時のロンドン公演などの様子を収録し、ライブアルバム「98ライブ・メルトダウン」としてリリースされている。続く2001年のアルバム、「デモリッション」も、ジューダス・プリーストらしさに欠けた作品で不評を買い、ツアー規模も縮小するなどバンド全体の人気の低迷を招いてしまう。なお、2019年にはティム在籍時のスタジオ・アルバム2作とライヴアルバム1作の計3作は欧米ではほぼ廃盤状態になっており、入手困難である。 ティムのサクセスストーリーを「メタル・ゴッド」というタイトルで映画化するという計画が持ち上がり、具体的な段階まで進んでいたが、内容が軽薄であるとバンド側が反発したこと、「メタル・ゴッド」という名称はロブ・ハルフォードの登録商標であったことなどからプリースト側は映画との関係を絶ち、結局この映画は「ロック・スター」というタイトルで発表された。 2003年、ロブが復帰することが決まり、ジューダス・プリーストを脱退。複数のバンドからの誘いを受けるも、最終的にアイスド・アース(Iced Earth)に加入した。
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