ジャクソンの与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/13 16:00 UTC 版)
「ヘンリー・M・ジャクソン」の記事における「ジャクソンの与えた影響」の解説
上述のように、ジャクソンは国防・安全保障政策の専門家として知られていた。そのスタンスは、反共的で強硬なものであった。彼はデタント政策に一貫して反対しており、特にSALT IIには強硬に反対した。さらに、1974年の貿易法の審議に際し、いわゆるジャクソン・ヴァニク修正条項を提案した。このときの共同提案者は、チャールズ・ヴァニク下院議員(民主党、オハイオ州選出)である。これは、市場主義経済をとらない国々、移民の自由を制限している国々との通商を基本的に禁ずるものであり、主にソ連圏、共産圏を念頭においていた。 このように対外的な強硬姿勢、アメリカの自由民主主義を全世界的に広めるという目的のためには軍事的な手段をも用いるというのが彼のスタンスであり、冷戦リベラル(英語版)の代表格に挙げられている。こうしたスタンスは、いわゆる「ネオコン」に通ずるものがある。事実、「ネオコン」の創始者とされるアーヴィング・クリストルはジャクソンが結成した民主的多数派連合(英語版)の副議長であり、リチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、ダグラス・ファイスといった「ネオコン」人脈の中心的人物も、70年代にジャクソンの下で働いていた(1)。このことから、ジャクソンを「ネオコン」の源流の一人とみなす傾向が強い。事実、パールは自身が共和党員と看做されるのには不服であり、「ジャクソン流民主党員」と呼ばれたいと語ったことがある。
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