ジギスムントの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 07:03 UTC 版)
「バルバラ・ツェリスカ」の記事における「ジギスムントの死後」の解説
ジギスムントの後を継いだアルブレヒト2世はジギスムントの生前からバルバラと反目し、オーフェン(ブダ)でバルバラを監視下に置いた。 バルバラは自身に質入れされていた城の一つを年金12,000グルデンで引き渡さなければならなくなった。 夫の死後、バルバラは解放されたものの全財産を没収され、ハンガリーを出国することを余儀なくされた。彼女はポーランドに移り、サンドミェシュを領地として与えられた。アルブレヒト2世との確執は1439年にアルブレヒト2世が暗殺されて霧散した。1441年になると、バルバラはボヘミアのムニェルニークに移った。彼女はこの地で前ボヘミア王妃としての余生を送ったが、ここでも体制転覆の陰謀を図ったとして告発されている。バルバラは晩年を趣味の化学やオカルト諸学の研究に費やした。バルバラはペストに罹り、ムニェルニークで亡くなった。 最期まで政治から離れず、ボヘミアの有力者やイジー・ポジェブラトらとは接触を保っていた。 史実ではバルバラはチェコで亡くなったが、民話によると、クロアチアのメドヴェドニツァ山(Medvednica)の城で亡くなったことになっている。オスマン帝国がメドヴェドニツァ山の城を攻め落したとき、バルバラ・ツェリスカは生き残るために自分の魂を悪魔に売って、契約を結んだと言われている。しかし悪魔は彼女を助けないで、さらに彼女と財産に呪いをかけ、その呪われた財産は今もまだ誰にも、発見されていないという民話がある。[要出典]
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