ジキル博士のモデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 16:44 UTC 版)
「ジキル博士とハイド氏」の記事における「ジキル博士のモデル」の解説
18世紀半ばのエジンバラの市議会議員で、石工ギルドの組合長をしていたウィリアム・ブロディー(William Brodie)がジキル博士のモデルとされる。ウィリアム・ブロディーは昼間は実業家であったが、夜間は盗賊として18年間に数十件の盗みを働き、スコットランド間接税務局本部の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人物であり、ロバート・ルイス・スティーヴンソンとウィリアム・ヘンリーは、この事件をもとに戯曲『組合長ブロディー、もしくは二重生活』を書き、『ジキル博士とハイド氏』を書く2年前の1884年にロンドンのプリンス劇場で初演している。 また、同じく18世紀半ばの外科医で解剖学者のジョン・ハンターは、その医者としての高名な昼の顔と、解剖学者(遺体を損壊し死後の復活を妨げるため同時代では嫌悪されていた)や死体調達のための墓荒しをしたとされる裏の顔、また建物が表通りに面した医院と裏通りに面した解剖学教室・死体搬入口という構造がジキル博士の家に類似するモデルとされている。 また、ジキル博士が自作の薬を自分に使用するエピソードは、フランスの医師シャルル=エドゥアール・ブラウン・セカールが、性的能力を回復する目的でモルモットとイヌの睾丸から抽出した液体を自分に注射した事件がインスピレーションを与えたといわれる。
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