ジェームス・ブラウン、JBズ
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「ブーツィー・コリンズ」の記事における「ジェームス・ブラウン、JBズ」の解説
1970年、ジェームス・ブラウンのバックバンド、フェイマス・フレイムス (Famous Flames) が待遇改善を求めてストライキをおこした際、代役としてペースメイカーズが突如呼ばれ、リハーサルもなしにステージに立つこととなった。難なくこなしたブーツィーとフェルプスらは、1971年までの間、ジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズとしてジェームス・ブラウンと活動をともにし、ファンクソウルミュージック界の中心に立つこととなった。 JBズオリジナルメンバーは、ブーツィー、フェルプス・"キャットフィッシュ"・コリンズ、ボビー・バード(オルガン)、ジョン・スタークス(ドラム)、ジョニー・グリッグス(パーカッション)、ロバート・マッカラウ(テナーサックス)、クレイトン・"チキン"・ガネルズ(トランペット)、ダリー・"ハッサン"・ジャミソン(トランペット)。 それまでリズム隊のメインはドラム、リズムギター、およびホーンで、ベースはハーモニーの低音部であったのに対して、ブーツィーの加入により、ベースが一躍リズム隊のメインに躍り出た。ジェームス・ブラウンはブーツィーのベースをことのほか気に入り、ブーツィーを常にそばにおき、移動の時も(バンドのツアーバスではなく)プライベートジェット機に一緒に乗せていくほどだったという。ブーツィーの在籍時代に、ジェームス・ブラウンは「セックス・マシーン」(1970)、「スーパーバッド」(1970)、「ソウル・パワー」(1971) などの大ヒット曲を多く生み出した。 しかし、LSD等の薬物使用のため、ブーツィーはステージ上にあってもたびたび幻覚をみるようになった。1971年のある日、自分のベースが蛇に見えたブーツィーは演奏を止めてステージから逃げ出してしまい、ジェームス・ブラウンに解雇された。ブーツィーも、規律が厳しいジェームス・ブラウンのもとで仕事を続けていくのが、きつく感じられていたときであった。ブーツィーはタキシードを着てバックに徹しなければならないJBズではなく、サイケデリック・ロックを含んだ音楽やジミ・ヘンドリックスのようなサウンド、ビジュアル、ライブがやりたかったのであった。1960年代後半、ジミ・ヘンドリックスが革新的なギタースタイルで黒人による新しいロック・ミュージックを作り出し、またサイケデリックムーヴメントがブラックミュージックにも押し寄せ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンがロックやソウル、ファンクを合わせて演奏していた時代であった。
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