シュネッペンハウゼン
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「ヴァイターシュタット」の記事における「シュネッペンハウゼン」の解説
シュネッペンハウゼンは1225年11月21日にグレーフェンハウゼンとともに初めて文献に記録されている。この文書では、シュネッペンハウゼンの村長が立会人として登場している。13世紀にカッツェンエルンボーゲン伯がシュネッペンハウゼン周辺の地所の領主であった。1618年8月14日シュネッペンハウゼンはブラウンスハルト地区での馬の放牧についてブラウンスハルトと争った。三十年戦争ではシュネッペンハウゼンの多くの家屋が焼失した。1640年には11家族、10軒の家屋があった。1年後には住民は約20人で建物は25軒中10軒が残っていると記録されている。1605年に建てられた村役場は、1705年から学校に転用され、1890年まで学校として利用された。その後も村役場は必要なくなり、私邸に売却された。シュネッペンハウゼンは、1832年から1848年までグロース=ゲーラウ郡に、1852年から第一次世界大戦の終わりまではダルムシュタット郡に属し、1926年に再びグロース=ゲーラウ郡に戻された。1881年または1888年にシュネッペンハウゼンとグレーフェンハウゼンとの間の道路が造られた。1926年からシュネッペンハウゼンは、またもダルムシュタット郡の所属に戻された。第二次世界大戦後は、1952年にポンプ施設を有した井戸により飲料水、雑用水の供給が始まった。1964年、浄水場が稼働を開始した。
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