ムハンマド6世 (モロッコ王)とは? わかりやすく解説

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ムハンマド6世 (モロッコ王)

(シディ・モハメド6世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 18:42 UTC 版)

ムハンマド6世
محمد السادس
モロッコ国王
2016年撮影
在位 1999年7月23日在位中
戴冠式 1999年7月30日
別号 アミール・アル=ムウミニーン

全名 سيدي محمد بن الحسن العلوي
サイディ・ムハンマド・ビン・ハッサン・アル・アラウィー
出生 (1963-08-21) 1963年8月21日(59歳)
モロッコラバト
配偶者 ラーラ・サルマ
子女 ムーレイ・ハサン
ラーラ・ハディージャ
家名 アラウィー家
王朝 アラウィー朝
王室歌 国王万歳
父親 ハサン2世
母親 ラーラ・ラティファ・ハンム
宗教 イスラム教スンナ派
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称号:国王
敬称 陛下

ムハンマド6世(ムハンマド6せい、アラビア語: محمد السادس, ラテン文字転写: Mohammed VI1963年8月21日 - )は、モロッコの現国王(在位:1999年7月23日 - 現在)。モハメド6世とも表記される。

2002年から発行されている全てのモロッコ・ディルハム紙幣に肖像が使用されている。

経歴

1963年8月21日、ハサン2世ラーラ・ラティファ・ハンムの長男として生まれる。祖父のムハンマド5世にちなんで命名された。

1981年、高校卒業後、ムハンマド5世大学英語版に入学し、1985年に法学士号を取得する。

1994年7月12日、モロッコ王立軍の最高指揮官に就任。

1999年7月30日、父王の崩御により国王に即位した。

2002年3月21日、ラーラ・サルマ王妃と結婚。王妃はモロッコ史上初めて公に紹介され、尊称を持って呼ばれている。また王家初の一般女性との結婚となり、ムハンマド6世は一夫一妻制を維持している。

2003年5月8日、長男ムーレイ・ハサン王太子が、2007年2月28日には長女ラーラ・ハディージャ英語版王女が誕生した。

日本食贔屓として知られ、専属の日本人シェフを王宮に招聘している。また、島根県仁多郡奥出雲町特産の仁多米を気に入り、駐アメリカ合衆国モロッコ領事館を通じて購入しているという[1]

訪日歴

ムハンマド6世は以下の3回訪日している[2]

脚注

  1. ^ 町特産「仁多米」縁に モロッコと食の交流へ 島根・奥出雲町 - MSN産経ニュース”. 産業経済新聞社 (2012年5月21日). 2012年5月21日閲覧。
  2. ^ モロッコ基礎データ”. 外務省 (2020年3月16日). 2023年6月3日閲覧。


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